6月民主抗争 1987年の護憲反対と大統領直接選挙制への改憲の経緯 ================================= 6月民主抗争は、1987年に市民が護憲と国家暴力に対抗した全国的な民主化運動である。市民参加の拡大が大統領直接選挙制の受け入れにつながり、改憲はその後、国民投票と公布を経た。 - 4·13護憲措置は、大統領の間接選挙制を維持する方針だった。 - 朴鍾哲事件の隠蔽が暴かれたことで、国家暴力の責任を問う声が強まった。 - 6·10国民大会の行動要綱は、集会場の外でも参加する方法を示した。 - 6月の全国的な抗争は、6·29宣言での大統領直接選挙制への改憲の約束を引き出した。 - 改憲案は1987年10月27日の国民投票で確定した。 6月民主抗争は、1987年に市民が護憲と国家暴力に立ち向かった全国的な民主化運動である。集会や日常生活の中で参加が広がり、大統領直接選挙制への憲法改正の約束を引き出した。市民の要求が大統領の選出制度を変えた出来事として記憶されている。 民主化運動記念事業会の史料と国史編纂委員会の記録を2026年10月に照合した。 4·13護憲措置に反対した理由 4·13護憲措置は、既存の憲法に従って次の大統領を選出するという方針だった。当時の憲法は、大統領選挙人団が大統領を選ぶ間接選挙制を定めていた。直接選挙制への憲法改正を求めていた市民と野党は、この方針に反発した。 憲法改正をめぐる議論は1987年以前から続いていた。与党は内閣制への憲法改正を主張した。野党の中心的な要求は、有権者が大統領を直接選ぶことだった。全斗煥の護憲発表は、この対立の中で行われた。国史編纂委員会「韓国史年代記」 用語 当時の意味 護憲 既存の憲法を維持すること 護憲撤廃 4·13措置を撤回し、憲法改正を進めるよう求めること 間接選挙制 大統領選挙人団が大統領を選出する方式 直接選挙制 有権者が投票で大統領を直接選出する方式 朴鍾哲事件は、国家暴力への抗議が広がるきっかけとなった。ソウル大学の学生だった朴鍾哲は、1987年1月14日に警察の拷問で死亡した。事件が知られた後、追悼と真相究明を求める運動が続いた。 同年5月18日には、事件の隠蔽・矮小化の事実が公表された。カトリック正義具現全国司祭団が明らかにした。拷問の責任を問う要求は、護憲に反対する運動と結びついた。『史料で見る韓国史』「6·10国民大会宣言」解説 1987年の抗争と憲法改正の年表 抗争の背景は1月から積み重なり、制度の変化は6月以降も続いた。6月10日は全国的な国民大会が開かれた日である。直接選挙制への憲法改正案が国民投票で確定した日は10月27日である。 日付 出来事 確認できる記録 1987年1月14日 朴鍾哲が警察の拷問で死亡 国史編纂委員会「韓国史年代記」 1987年4月13日 全斗煥が護憲方針を発表 国史編纂委員会「韓国史年代記」 1987年5月18日 朴鍾哲事件の隠蔽・矮小化の事実を公表 『史料で見る韓国史』宣言文解説 1987年5月27日 民主憲法争取国民運動本部が結成 民主化運動記念事業会「国本コレクション」 1987年6月5日 国本が国民大会の行動要綱を発表 民主化運動記念事業会「国本コレクション」 1987年6月9日 李韓烈が警察の撃った催涙弾を受けて重体に陥る 国史編纂委員会「韓国史年代記」 1987年6月10日 全国で国民大会を開催 『史料で見る韓国史』宣言文解説 1987年6月10~15日 明洞聖堂での籠城が続く 『史料で見る韓国史』宣言文解説 1987年6月18日 催涙弾追放大会を開催 民主化運動記念事業会「国本コレクション」 1987年6月26日 国民平和大行進を開催 民主化運動記念事業会「国本コレクション」 1987年6月29日 盧泰愚が直接選挙制への憲法改正の受け入れを発表 国史編纂委員会「韓国史年代記」 1987年10月27日 国民投票で憲法改正案が確定 韓国史データベース「大韓民国史年表」 1987年10月29日 第9次改正憲法を公布 国家記録院「憲法改正公布」 1987年12月16日 直接選挙制による第13代大統領選挙を実施 大統領記録館「盧泰愚大統領就任記録」 1988年2月25日 改正憲法が施行 国会記録保存所「大韓民国憲法」 国民運動本部と行動要綱の役割 民主憲法争取国民運動本部は、全国的な共同行動を組織した連合体だった。略称は国本である。野党や在野団体、宗教界など、さまざまな分野が加わった。 国本は1987年5月27日、ソウルの香隣教会で結成された。6月10日を国民大会の開催日と定めた。同じ日、民主正義党は大統領候補の指名大会を開いた。民主化運動記念事業会「国本コレクション」 「6·10国民大会行動要綱」は、参加方法を具体的に示した。集会に集まる時間と場所を案内した。集会場に行けない人の参加方法も盛り込んだ。 参加の状況 行動要綱に盛り込まれた計画 分野別・宗派別の参加 午前10時以降に国民大会を開催 ソウルでの合同集会 午後6時に聖公会大聖堂に集合 それぞれの場所からの参加 愛国歌の斉唱と万歳三唱、または黙祷 車両と宗教施設の参加 自動車のクラクションと寺院・聖堂・教会の鐘を鳴らす 夜の時間帯の参加 午後9時から10分間の消灯と放送ニュースの視聴拒否 事前の参加呼びかけ 6月8~9日に電話で参加を呼びかけ、互いに励ます 地方での国民大会 地域の事情に合わせて時間と場所を決め、準備委員会を設置 原文は非暴力での参加を繰り返し求めている。同時に、地域ごとに時間と場所を調整する余地を残した。共通の指針と地域の自主性を併せ持つ組織方式と解釈できる。民主化運動記念事業会「行動要綱」原本、登録番号00170898 6月10日から26日まで参加が広がった過程 6月の抗争では、国民大会の後も市民の参加が続き、広がった。明洞聖堂での籠城は、その継続を示す出来事だった。事務職の会社員も参加し、いわゆるネクタイ部隊が現れた。 市民は行進に加わったり、デモ隊に食べ物や飲み物を渡したりした。車のクラクションを鳴らして支持を示す方法も取られた。参加は学生や従来の運動団体の組織的な範囲を超えた。『史料で見る韓国史』宣言文解説 6月9日に李韓烈が催涙弾を受けたことは、抗議が強まるきっかけとなった。6月18日には催涙弾追放大会が全国で開かれた。6月26日の国民平和大行進は、全国的な抵抗を再び結集させた。 国本は共同行動の日程と要求を示した。各地では自発的なデモも続いた。したがって、現場での行動をすべて国本の指示によるものと説明することはできない。民主化運動記念事業会「国本コレクション」 6·29宣言と直接選挙制への憲法改正の違い 6·29宣言は、直接選挙制への憲法改正を受け入れるという政治的な約束だった。発表したのは民主正義党の大統領候補、盧泰愚である。宣言の発表だけで憲法の条文が変わったわけではない。 その後、与野党の協議によって憲法改正案が作られた。国会は1987年10月12日に改正案を議決した。1987年10月27日、国民投票で改正案が確定した。国家記録院「第9次憲法改正」 「大韓民国史年表」は、当時の国民投票の賛成率を93.1%と記録している。これは投票した人を基準とする割合である。有権者全体の93.1%が賛成したという意味ではない。韓国史データベース「国民投票記録」 段階 意味 日付 政治的な受け入れ 直接選挙制への憲法改正を進めると約束 1987年6月29日 国民投票による確定 改正案に対する国民の承認 1987年10月27日 公布 確定した改正憲法を公に知らせる 1987年10月29日 選挙の実施 有権者が大統領を直接選出 1987年12月16日 憲法の施行 附則で定めた施行日の到来 1988年2月25日 改正憲法の附則は、施行前の大統領選挙を認めていた。そのため、選挙日は憲法の施行日より前である。二つの日付の違いは附則によるものだ。大韓民国憲法附則第1条・第2条 憲法改正は、大統領の選出方式以外の制度も変えた。大統領の国会解散権が廃止された。国会の国政監査権は復活した。基本権の保護を強化する条項も設けられた。国家記録院「憲法改正公布」 行動要綱の日付と実施記録 行動要綱の発表日と史料目録の作成日は区別する必要がある。国本コレクションは、行動要綱の発表日を1987年6月5日と説明している。登録番号00170898の作成日は1987年6月10日と表示されている。 二つの日付が異なる理由は、その目録には説明されていない。目録の日付だけを根拠に発表日を書き換えてはならない。事件の経過と個々の文書の目録情報を併せて確認する必要がある。国本コレクション、行動要綱の史料詳細 行動要綱は、主催者が提案した計画を示す文書である。すべての地域で計画どおりに実施された証拠ではない。実際の参加状況を判断するには、現場の写真と当日の記録を照合する必要がある。 記録と解釈 事件の日付、当時の要求、歴史的な評価は区別して読む必要がある。同じ事件でも、文書の目的によって記される情報は異なる。参加規模を示す数値は出典によって異なる。 記録から確認できる事実 宣言文は、国本が護憲の撤回を求めた事実を示している。行動要綱には、参加を組織した方法が記されている。国民投票の記録と憲法公布の記録から、制度が変わった日付を確認できる。 歴史記述に共通する評価 公的機関による歴史解説は、全国的な市民参加を直接選挙制受け入れの重要な背景として説明している。国史編纂委員会の「韓国史年代記」は、全国で続いたデモに注目している。民主化運動記念事業会は、国本による組織化と市民参加の広がりを併せて扱っている。韓国史年代記、国本コレクション 資料が一致しない部分 6月26日に参加した地域の数は、二つの解説で異なる。一つの確定した数値にまとめて記すことは難しい。集計の範囲と基準を追加で確認する必要がある。 出典 1987年6月26日に参加した地域の記載 国史編纂委員会『史料で見る韓国史』宣言文解説 37の市・郡 民主化運動記念事業会「国本コレクション」 33の市・郡・邑 この違いだけで、どちらかの記録が誤っていると断定することはできない。二つの解説では集計単位も異なる。参加者の総数も、集計した主体と期間を明らかにして引用する必要がある。宣言文解説、国本コレクション 今日の制度を理解する意義 6月民主抗争は、市民の要求が制度の変化につながる過程を示している。街頭での要求は、政治的な受け入れと憲法改正の手続きを経た。大統領直接選挙制は、その結果の一つだった。 拷問と隠蔽への抗議は、国家権力の責任を問う要求だった。改正憲法は、逮捕・拘束時の告知義務を明文化した。言論・出版に対する許可制と検閲も禁止した。国家記録院「第9次憲法改正」 直接選挙制の導入は、民主化の課題がすべて解決したことを意味しなかった。その後も労働者大闘争など、社会の各分野から要求が続いた。政治制度の変化と社会的権利の拡大は区別して説明する必要がある。民主化運動記念事業会「国本コレクション」 よくある質問 6月民主抗争と6·10民主抗争は別の出来事か おおむね同じ民主化運動を指す名称である。6·10は、全国的な国民大会が開かれた日付を強調している。抗争は6月10日の一日で終わったわけではない。 朴鍾哲事件と李韓烈事件はどう違うのか 朴鍾哲は1987年1月、警察の拷問で死亡した。李韓烈は同年6月9日、デモ中に催涙弾を受けた。二つの事件は、異なる時期に抗議を広げた。 行動要綱と国民大会宣言文は同じ文書か 行動要綱と宣言文は目的が異なる文書である。行動要綱は参加する時間と行動方法を案内している。宣言文は護憲の撤回など、運動の要求と立場を表明している。 6·29宣言の当日に直接選挙制が施行されたのか 6·29宣言は、直接選挙制への憲法改正を約束する発表だった。憲法改正案は同年10月に国民投票を経た。実際の大統領選挙は12月16日に実施された。 直接選挙制の導入は、直ちに野党への政権交代を意味したのか 直接選挙制の導入と野党への政権交代は別のことである。1987年12月の選挙では、与党候補の盧泰愚が当選した。選出方式の変化と当選結果は分けて考える必要がある。大統領記録館「盧泰愚大統領就任記録」 FAQ Q. 6月民主抗争とは何か? A. 1987年、護憲方針と国家による暴力に対抗して展開された全国的な民主化運動だ。市民の抗争は、大統領直接選挙制への憲法改正を受け入れさせた。 Q. 4·13護憲措置は何を維持しようとしたのか? A. 現行憲法に基づく大統領の間接選挙制を維持する方針だった。大統領を直接選ぼうとする市民や野党の憲法改正要求と衝突した。 Q. 朴鍾哲事件の隠蔽が暴かれたことは、どのような影響を与えたか? A. 1987年5月18日、隠蔽と過小報告の事実が明らかになった。国家による暴力の責任を問う要求が、護憲反対運動と結びついた。 Q. 民主憲法争取国民運動本部はどのような組織か? A. 1987年5月27日に結成された民主化運動の連合組織だ。野党や在野団体、宗教界などが参加した。全国的な国民大会を組織する役割を担った。 Q. 6·10国民大会の行動要綱には何が盛り込まれていたか? A. 集会の時間と場所、非暴力での参加方法が盛り込まれていた。車のクラクションを鳴らすことや宗教施設で鐘を鳴らすこと、消灯など、集会の場以外からの参加も提案した。 Q. 行動要綱の発表日と史料目録の日付は同じか? A. 国本コレクションでは、発表日は1987年6月5日と説明されている。史料登録番号00170898の作成日は6月10日と記されている。目録では、二つの日付が異なる理由は説明されていない。 Q. 6月26日の国民平和大行進には、いくつの地域が参加したか? A. 国史編纂委員会の宣言文解説には、37の市・郡と記されている。民主化運動記念事業会の国本コレクションには、33の市・郡・邑と記録されている。数値を引用する際は、出典と集計単位を併せて明示する必要がある。 Q. 6·29宣言と憲法改正はどう違うのか? A. 6·29宣言は、直接選挙制への憲法改正を受け入れるという政治的な約束だ。憲法改正案は1987年10月27日の国民投票で確定した。改正憲法は10月29日に公布された。 Q. 1987年の憲法改正をめぐる国民投票の賛成率93.1%は何を意味するのか? A. 投票に参加した人を基準とする賛成の割合だ。有権者全体の93.1%が賛成したという意味ではない。 Q. 大統領選挙が改正憲法の施行日より先に行われたのはなぜか? A. 改正憲法の附則が、施行前の大統領選挙を認めていたためだ。選挙日は1987年12月16日だった。憲法の施行日は1988年2月25日だ。 Q. 直接選挙制の導入によって、すぐに野党が政権を握ったのか? A. 1987年の大統領選挙では、与党候補の盧泰愚が当選した。直接選挙制の導入と、野党への政権交代は区別する必要がある。 Sources - 民主化運動記念事業会オープンアーカイブ、6.10国民大会行動要綱: https://archives.kdemo.or.kr/isad/view/00170898 - 民主化運動記念事業会オープンアーカイブ、民主憲法争取国民運動本部: https://archives.kdemo.or.kr/collections/view/10000140 - 国史編纂委員会韓国史年代記、1987年6月抗争: https://contents.history.go.kr/mobile/kc/view.do?levelId=kc_i500500 - 国史編纂委員会史料で見る韓国史、6·10国民大会の宣言と解説: https://contents.history.go.kr/front/hm/print.do?levelId=hm_151_0040&treeId=020108 - 国史編纂委員会大韓民国史年表、1987年10月27日の憲法改正国民投票: https://db.history.go.kr/id/tcct_1987_10_27_0010 - 国家記録院国政分野のテーマ別解説、第9次憲法改正: https://www.archives.go.kr/next/newsearch/listSubjectDescription.do?id=001439&sitePage= - 国家記録院年表と記録、憲法改正公布: https://theme.archives.go.kr/next/chronology/archiveDetail.do?evntId=0049318344&flag=1&isPop=Y - 国会記録保存所、大韓民国憲法・憲法第10号: https://archives.nanet.go.kr/upload/namo/files/000003/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%AF%BC%EA%B5%AD%ED%97%8C%EB%B2%95%28%ED%97%8C%EB%B2%95%EC%A0%9C10%ED%98%B8%29.pdf - 大統領記録館、第13代盧泰愚大統領の就任記録: https://www.pa.go.kr/online_contents/inauguration/president13.jsp Images - 夕暮れのソウルで、車の間を通り聖堂へ向かう市民を描いた絵: https://injoys.com/rails/active_storage/blobs/proxy/eyJfcmFpbHMiOnsiZGF0YSI6MzEwMjAsInB1ciI6ImJsb2JfaWQifX0=--924d3a5e8345bcc4b30f999fbf59093b79f1f8f5/ai-8fc9b77c.webp - 秋の小学校の校庭を通り、投票所へ列をなす有権者たち。室内には記入台と投票箱が見える。: https://injoys.com/rails/active_storage/blobs/proxy/eyJfcmFpbHMiOnsiZGF0YSI6MzEwMjYsInB1ciI6ImJsb2JfaWQifX0=--be0372613ffc0d0f871cdb4edadfb94020cba2cc/ai-ed36dd54.webp --- Category: ナレッジベース Source: https://injoys.com/ja/articles/june-democratic-uprising-1987-direct-presidential-election License: cc_by Translation-Status: reviewed